韓流四天王と呼ばれた男たちを語る

ウォン・ビンも忘れてはいけない

四天王最後の1人

韓流四天王も遂に最後になりました、こう言うとラスボスっぽくて格好がいいかもしれませんが、最後に紹介するこの方はほかの3人よりも年下になります。四天王の中では一番最初に紹介するべきだったのではないか、なんて言われるかもしれませんが、そうもいきません。なにせこの『ウォンビン』は、まだ韓流ブームなるものが出来る以前に、日本と韓国との間で初となる試みを成功させた人物だからだ。言うなれば、韓流ブームの立役者として最も重要な位置に付いていると言っても良い方なんです。

そこまでいう理由の1つとして、それまで国交としてはそれなりに交流はあったものの、メディアを通しての文化的繋がりがなかった日本と韓国の間に一つの共通点が生まれます。それは2002年に開幕した日韓ワールドカップだ。それを祝して日本と韓国との間で初となる共作ドラマを制作している。その作品に出演し、ヒロインの恋人役として出演したのがウォンビンだ。

しかもこのドラマは共同制作だけでなく、日韓同時放送という点でもそれまでの歴史においてありえなかったことを実現させたのです。その作品に出演したことから、当時話題を集めて人気俳優になっていったウォンビンの知名度を盤石たるものに仕立てあげたのだった。

ドラマ フレンズを通して

フレンズという作品では日本から女優の深田恭子さんが出演し、ウォンビン扮する将来を期待されるが故に記念として映画を作ろうとしていた若者を演じている。相手役として出演したので、フカキョンファンはまさかのイケメンぶりに怒りをむき出しにしたという人もいたでしょう。対して女性方はマジもののイケメンktkr! 的に躍起したのではないか。他の3人とは違ってどことなく年齢相応に見せる風貌に落ち着きを感じさせるところは、女性たちの心を瞬く間に盗んでいったのではないか。

彼のデビュー事態はほかの四天王たちよりも遅く、90年代後半になってから登場し、2000年に放送されたドラマ『秋の童話』に出演したことから俳優としての人気に火を付けるのでした。遅咲きというよりは、デビューそのものが遅かったので以前より活躍していたイ・ビョンホンやペ・ヨンジュン、チャン・ドンゴンと比べると知名度は韓国内ではまだこれから、というところでした。

ところがフレンズという日韓同時放送作品がきっかけとなって、日本での人気が先行したのです。そしてブーム火付け役として四天王の一角に据えられたといえる。

徴兵制でしばらく芸能界から離れる

これからが本番とばかりに期待されていたウォンビンでしたが、彼はその後2005年に国内の規律に従って徴兵制によって兵役をこなすことになる。韓国では必ずしも成人してからすぐに兵役につけるわけではなく、毎年抽選で誰が行けるかを探しているほどだ。ウォンビンのように既に大学を卒業し、一時期は仕事をしていた人がある日徴兵制に参加が決まるというのも珍しくなかったのです。

ウォンビンもその例でしたが、任務に明け暮れていた中でそれまで患っていた膝の痛みが悪化し、『左側ひざ十字靭帯部分断裂』と診断されてしまった。これにより兵役をこなせなくなってしまい、入隊してから1年も経たない内に除隊する事になってしまう。

3年間の休養を経て

除隊してから3年間音沙汰がなかった、というよりは治療に専念していたという方がいいでしょう。リハビリに専念しなければ最悪、俳優としても商品価値に差し障りが出るとして、ゆっくり慎重に事を進めていたのだ。その結果、なんとか回復の兆しを見せて、2009年には無事に復帰を果たすのだった。

韓流ブームと呼ばれた時代から4年が経っていただけに、この時点でほかの3人とは決定的な溝が生まれたのは言うまでもありません。俳優にとっての4年間は、まさに数十年分もの重みに勝るとも劣らないだけの価値を持つ時間だ。それこそこの期間にどれだけ活躍できたかで、将来的に芸能人として大成できるかどうかを決定的に決めてしまいます。

ですがウォンビンはそんな兵役期間と休養期間の間で自分のするべきことをしたので、彼に対して高評価している人もいる。また実際に俳優として活躍していく中でも確かな輝きを放ち続けていた。

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